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在宅ワークに挑戦すると決意するまで

はじめまして!

当サイトの管理者の”めい”です。

私は、思春期真っ只中の息子2人(中学1年生・高校1年生)を育てながら働く40代の母親です。

私はこれまで正社員という雇用形態にこだわりをもっていました。

正社員にこだわっていた理由の一例をあげると、

・毎月安定した収入が得られる
・厚生年金に加入できて、年金受給の時に上乗せされる
・社会的信用があるので、クレジットカードや住宅ローンなどの審査がとおりやすい
・転職するときに有利

特に、子供が産まれてからは、『安定した収入』が一番重要項目でした。

しかし、それは過去の話。

あんなに正社員にこだわっていた私なんですが、

現在は正社員を捨て、在宅ワークに挑戦しています!

その一番理由は

私が正社員にこだわることが家族を不幸にしていることにやっと気がついたんです。

そう思った経緯とともに自己紹介をさせてください。

幼少期~学生時代

誕生~中学生

子供になかなか恵まれなかった両親のもとに待望の第1子として誕生しました。

サラリーマンの父、専業主婦の母と3人暮らし。

いつも家庭の中心は私でした。

父親は、やりたいことがあっても毎回両親に反対されたという過去がありました。

その悔しさから、自分の子どもには好きなことをさせてあげたいという希望がありました。

その希望通り、やりたいことはなんでもやらせてもらえました。

その結果わがまま放題に育ってしまいました。

小学校にあがっても、持ち前のわがままを遺憾なく発揮。

それがあだとなり、小学校高学年~中学2年生までいじめが続きました。

同級生と上級生とに数年間いじめられることで、やっとわがままを抑えるという術を学びました。

高校生~大学生時代

高校受験で大きくこけてしまい、思いがけない高校に入学しました。

大学受験で挽回する!という気持ちから、勉強を頑張った3年間でした

私のやりたい進路を母に話すと、ストレートに反対されました。

原因はパンフレットに記載してあった就職率の数字でした。

6割くらい就職できているというのが、母にはどうしても引っ掛かっていたようでした。

というのも、時代は就職氷河期。

就職ができない学生のニュースを目にすることが多い時代でした。

母は娘がそうなってしまったら将来困る!と大変心配してくれていました。

そのため就職率6割というのは受け入れられなかったようでした。

母は『資格があれば就職に有利』と考え資格が取れる学部を紹介してくれました。

法学部、医学部、薬学部

『えっ、どれも難しいじゃん』

とは思ったものの、

『母も心配してくれているし、資格を取れる学校にしよう』

と決めました。

私は母の提案にあった薬学部を目指すことになりました。

大学に入学すると薬剤免許取得のための勉強。予想以上に勉強や実習に忙しい。

やりたいと思えないことをやるのは、自分にとって大変苦痛でした。

しかし、薬剤師国家試験に受かるんだ!

それだけを目標に4年間努力し、無事資格を取得できました。

社会人~現在

薬剤師として社会に出ると、世間からは

「資格があるから、働くのに困らなくていいよね」

「薬剤師と結婚したら逆玉だよね」

「(私と付き合ったり、結婚したら)ヒモになれるじゃん!」

など、資格取得当初思ってもいなかったことを言われるようになりました。

そういわれるのが苦痛になり、薬剤師であることを知らない人には隠すようになりました。

資格を手に入れて満足していたのに、他人の結婚・出産というのを目の当たりにすると、今度は結婚や出産に憧れるようになりました。

その後憧れの結婚・出産にこぎつけることができ、ほっと一息でした。

どんな事があっても正社員!時代

私、本当は専業主婦になりたかったんです。

母も専業主婦だったので、子供の私はいつでも母に甘えることができました。

そして、母と良い関係も築けていたので専業主婦に対する憧れは人一倍。

寿退社するっていうのにも憧れていました。

しかし現実はそううまくはいきませんでした。

旦那さんからは、「これ以上収入が上がる見込みはないので、子供が小学生くらいになったら働きに出てもらいたい」と言われていました。

お金がないのも困るよね。

どうせ働くなら、ブランク開けずに働いた方が楽かな~

ということで、専業主婦の夢は捨て、育児休業後は正社員として復帰。

長男はすぐ保育園に入れなかったのですが、1歳で保育園デビュー。

次男は、長男の保育園入園時の失敗を生かして、生後6か月で保育園デビュー。

近所の保育園は延長保育を利用することに肯定的な保育園でした。

なので、毎度毎度ありがたく延長保育を利用させてもらいました。

「お母さん何時も頑張っているね」って保育園の先生が優しい言葉をかけてくれるので、モチベーションも保つことができました。

正社員でいることのむずかしさ

子供に診断名をつけさせてしまった母親

長男は一足先に小学生になりました。

子供が小学校にあがると、

・午前中で授業が終わって帰ってくる

・給食のない日がある

・平日に懇談会や学校行事がある…

など、保育園時代に比べ働きづらくなりました。

さらに長男は小1の壁にぶちあたり、授業中に教室から出て行ったりと問題行動。

そのため、ほかの親よりも学校に出向く回数が増え、就業時間中にかかってきた学校からの電話の折り返し連絡を昼休みにしたりとイレギュラーなことが増えていきました。

小学校に上がったことで、余計な事が増えたな、と思いました。

小学校でトラブルを起こしたため、小学校側から発達に関する検査を受けるか打診。

やれるならとお願いしたところ、結果は発達障がいグレーゾーンの可能性ありとのこと。

うっすらと育てにくさは感じていたけれど、病名をを突きつけられると正直ショックでした。

更にショックなことは、

長男に発達障がいグレーゾーンの可能性があるが、市での特別な支援はないという現実でした。

市の支援は主に未就学児に行っているということ。

発達障がいのグレーなので何か治療や支援を受けたければ、自分で病院を探してくださいといわれてしまいました。

当時の私は、とにかく病院に行った方が良いのではないか?と考え、病院を予約しようとしました。

しかし、予約をしようとしても半年待ち、しかも平日のみ。

別の病院では、患者が多いので、しばらく予約は受け付けていないとのこと。

正直、お先真っ暗になりました。

診断なんて受けなければよかったと思うこともありました。

でもそこで気づいたんです!

『次男が発達障がいだった場合なら、まだ間に合うじゃん!』と。

当時、長男は小学校1年生、次男は保育園児でした。

次男が発達障がいかどうか、親として自信はありませんでした。

違っていればそれも安心材料だと思って、市に相談することに決めました。

しかし、結果は次男も発達障がいグレーゾーン。

次男はその後発達障がいの子供たちが通う教室に通うことができました。

そのころ長男の病院を探すのは一旦やめていました。担任の先生から落ち着いてきていると連絡をうけていたからです。

とはいえ、長男の学校での定期的な担任との二者面談、次男の教室の送迎などで

  • 有給がどんどん消えていく
  • 有給なのに休めない
  • 有給の日の方が疲れる
  • 仕事に行っている方が、ラク

このころから、働き方に疑問を持ち始めました。

しかし、正社員を手放す気はまだなく、『頑張るしかないか』と自分自身に言い聞かせ、ごまかしながら生活をしていました。

うちの子供たちは、大きくなっても手がかかる?

長男が小学校高学年になると、外に働きにでるママが急に増えてきました。

理由は、子供に手がかからなくなってきたから。

『うらやましいな~』

うちの子供たちは同級生に比べると正直手がかかる。

私が正社員という働き方をしているので、日中の子供への直接対応はまず無理。

私が帰宅しても夕食を食べさせたり、風呂に入れたり、宿題を見たりしていると時はあっという間に時はたちます。

そして、長男からの『ママ、ちょっといい?』の相談事が始まると、最後。

永遠と話をするんじゃないか?と思うくらいに話してきます。

そして、相談事は1日では終わらず、数日間は毎日これが続きます。

もちろん夜中まで話しているので翌日長男は起きません。

翌朝たたき起こして学校に行かせます。

夜中まで付き合うのは正直きついです。

しかし、日中我慢して夜まで待っている長男。

申し訳なくてつい対応する日々でした。

それよりも問題は次男。

次男は私の前ではとても良い子。

しかし、別の一面があり、私の見ていないところでたくさん問題をおこしてくれていました。

小4~小6の2年間、トラブルを起こしたことでの対応に明け暮れました。

当時自宅に帰るのが嫌でした。

またトラブルが増えているかもしれないと思っていたからです。

ほんの一例をご覧ください。

  • 私の財布から少しずつ少しずつお金を抜いて、そのお金でポケモンカードを購入する
  • 買ったカードが増えすぎたため、家に置いていたらばれるので、それを入れるカバンを買う
  • そのかばんを夜中に近所の空き家に隠す
  • 買物したあとのおつりは他人の庭に投げ捨てたり、学校の帰り道に捨てる

正直、読んだだけでうんざりしませんか?

当時、次男はカードを集めることが好きだったようで、ポケモンカード以外にも野球チップスカードでも同じように、お金を抜いて大量購入。

ポケモンカードは特に好きだったようで、見つけて注意しても、その後何度も購入を繰り返しました。そのたびにお金が抜かれていました。

次男の行動力のすごさに驚くとともに、気づかなかった自分に嫌気がさしました。

仕事と家事だけで日々疲れていて、それ以外に手が回っていませんでした。

家の現金がなくなっているのも忙しくて気づきませんでした。

こんなことが繰り返される日々。

子供のためにも、私は家にいるべきなのではないか?と真剣に考えるようになりました。

一瞬専業主婦も浮かびましたが、これからかかる教育費の事を考えると簡単に選ぶことは出来ませんでした。

働き方を変えてみよう!

転職サイトに登録したり上司に相談したりアクションを起こしてみましたが、今働いている業種で午前中のみなど都合の良い働き方を中途採用でしてくれる会社は見つかりませんでした。

オンライン薬局で働くことも考えましたが、全国に1社しかなく現在募集なし。

他業種でもいいかと転職サイトをみると、たまたま見かけたのが資格職でもないのに年収が自分よりも高い案件の数々。

「あれ?資格ってなくても高収入になれるの?」

資格にこだわってきた気持ちが少し薄れた瞬間でした。

何とかならないものかな~

仕事の休憩中や通勤時間中に在宅を検索しまくる日々。

そんなある日、オンラインスクールの宣伝を発見。

オンラインスクール?怪しい・・・。

でも、自宅で働くことができるとの魅力的な文言…。

怪しいながらも惹かれていく自分がいました。

しかし、HPを見るだけ。

当時はそれ以上、踏み出すことは出来ませんでした。

自分へのタイムリミットもやってきた

『働き方を見直さなきゃなぁ』

でも、できることは薬剤師以外ないんだよなぁ。

日々の忙しさもあって、考えることはあっても先に進むことはありませんでした。

と思ってた矢先、上司から店長になるようにという命令が出てしまいます。

断れば、ほかに行く先がないよ(=退職ということです。)と。

しかも、今日断ったら今日付けで退職になるといわれました。

『何も準備していないのに退職は無理』

『でも、次の事は考えなきゃ』

店長となれば、今より最低2時間帰宅が遅くなる。

朝も今までより10分は早く自宅を出ないといけない。

コロナ以降、会社の業績も下がったまま。

そのため、店長になっても手当がつくこともない。

年俸制の為、今と給与は変わらない。

家庭に負担をかける、子供のケアがさらにできなくなる。

もう働き方を変えるしかない!

追い詰められた結果、やっと重い腰を上げて行動しはじめました。

以前から気になっていたオンラインスクールの無料相談を受けて、その日のうちに入会手続き。

それでも即退職という選択は出来ませんでした。

お金がないのはやっぱり困る。

とりあえず辞令をのんで、店長としてしばらく働くことにしました。

しかし、上司のパワハラ発言をきっかけに、以前から感じていた体調不良が悪化。

布団から出れなくなり、子供のケアどころか自分の事でいっぱいいっぱいになりました。

数日寝込んでも改善しないので、病院を受診

診断の結果は適応障害でした。

会社から離れる事で症状は改善しましたが、薬局関係者からの電話やLINEが来ると体調を崩してしまうの繰り返し。

資格があってももう働けない。

そう悟って、退職しました。

家族との時間の大切さを再認識

退職して毎日私が家にいることで、子供のメンタルも安定したのか、大きな問題は起こさなくなりました。

手がかかることはあっても、私も始終自宅にいるので兄弟それぞれの特性にあわせた対応もしやすくなりました。

もしかしたら、私が母とたくさんの時間をすごしたように、子供も母親とある程度過ごさないと心が満たされないのかもしれない

そう感じるようになりました。

家にいるのはいいけれど、

まだまだ先が長く、いくらかかるか未知数の教育費問題。

進路が決定していない2人の為にも、働くことは私にとって必須。でも資格職は難しそう。

そうなると、余計に家で働くという選択をしたくなりました。

そこで私は、

2年間かけて、在宅ワークという手段で月収30万円を達成する

という目標を掲げました。

追い立てられるように前職を離れ、たどり着いた在宅ワークの道。

在宅ワークってどういうことをするのか理解がない中スタートしました。

ほかの人よりマイナススタート。

なので、2年という期間を掲げ目標を達成していこうと考えています。

目標を達成するまでの過程を残すため、ブログを立ち上げました。

このブログから働き方の選択肢について考えるきっかけが生まれれば幸いです。

長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。